#givemac2 で副賞に選べれました

pichikupachikuさん?http://d.hatena.ne.jp/pichikupachiku/20110407/1302185567

なんと小説形式での応募。100年後の日記を書くという形式でソーシャルネットの未来像を描く。
惜しいのは、固有名詞が難しすぎて読みにくくなってしまっているところ。

ありがとうございます!!
Twitterの#givemac2タグを見ている限り, 私が以前からウォッチしていた中学生プログラマクラスタの皆さんがかなり応募するようで, 前回の受賞作品を見てもかなり技術職が濃いものだったので, 技術勝負になるのは予想していました.
そこで, 技術のない私は他の応募者がやらないであろう800字小説を書くことで, 目立とうと考えました.
ユニークさを評価していただいたようで, 大変満足です.(もともと, 大賞どころか, 副賞すらいただけるとは思っていませんでした. 応募者リストに載り, 唯一の小説での応募ということで目立つことで, このブログと@pichikupachikuの知名度を上げることが主な狙いでした.)

さて, 若干駄目だしを頂いたのでその言い訳と, いちおういいたいことがあって書いたものなのでちょっとその説明を書こうかと思います.

言いたかったこと

「通信と交通の発達, 規制緩和などで現在の国土に基づいた国家は形骸化する.」
現在でも, インターネットがなかった頃に比べれば, 国というものの重要性ははるかに下がったと思います.
わたしは中学生の時にSkypeで同年代の韓国人とグループ通話をしていました.
日本人の同年代でSkypeユーザーが少なかったからです.
おそらく当時の中学生のSkype利用率で言えば韓国が世界一だったのではないでしょうか.
同年代の韓国人が沢山いて, 私は韓国語を勉強していたし, 韓国という国にも韓国人にも興味があったので, 自然に韓国人が話し相手になりました.
わたしは韓国語がペラペラだったわけではありませんが, 相手の韓国人は日本語が上手だったので, 問題ありませんでした.
なにが言いたいかというと, もうこの時点で国なんてどうでもいいんです.
私は日本人だけど, 日本語を話せて同年代の韓国人がいたから韓国人と話しました.
これが昔なら文通という形になり, 郵便代金や時間のロスが大変で, 日本人を相手に選ばざるを得なかったと思います. 当時は国が重要だったのです.
みなさんも, 外国にメールを送るのと日本にメールを送るのとで感じる違いは何も無いでしょう. あいてが非日本語人であれば言葉の壁は感じるかもしれませんが, それすら私が中学生の頃よりかなり薄くなっています.(語学学習の普及, 翻訳技術の向上など)
また交通についても, 以前より飛行機は安くなりました.
海外の格安航空会社が日本に参入して, 今後更に安くなるでしょう.
これについてちきりんさんは, こんな面白いことを言っています.

20年もたてば、「海外旅行は誰でもできるけど、日本国内の旅行は金持ちしかできない」という時代になるかもしれません。実際には新幹線を除く国内旅行も安くなりますので、将来は海外旅行と国内旅行の価格差はほぼ意識されなくなるでしょう。

もしそうなれば, 自分にとってとなりの埼玉県より隣国のソウルのほうが身近ということになりかねません.
規制緩和も世界中で進んでいます. 今日本が加盟するのかで揺れているTPPもそのひとつでしょう. TPPがどうあれ, ひとびとが交通, 通信の発達で人々が国境を感じなくなれば, 規制緩和はあとから付いてくるでしょう.
今後, ますます国境を感じる機会が減り, 自分の国籍も気にしなくなり, 一方で利用が今拡大しているSNSの重要性はまして行き, FacebookとMySkypeのあいだの壁を感じるようになるのではないかと思います.(わたしは今, はてなとアメーバ, Twittermixiのあいだの壁を感じています.)
じゃあもう今までの国っていうのはどうでもよくて, SNSが国みたいになるんじゃないか, と想像したのがあれです.

固有名詞について

MiaSpaco, Vizaghlibro:
これは現在の2大SNSMySpace」「Facebook」をもじったものです.
My, Space, Face, bookそれぞれの単語を全てエスペラントに置き換えると, このようになります.
将来エスペラントがエイゴにとって代わると言いたかったわけではありません. ただちょっと見慣れない原語を取り入れることで未来っぽくなる効果を狙いました.
Viki: Wikipediaのことを現在の女子中学生とかはWikiといいます.(たぶん)
Vikiは, Wikiエスペラントふうに表したものです.
レルネヨ:
Lernejo です. エスペラントで「学びの場所」つまり学校のことです.
Lernejoでなくレルネヨとしたのは, 上記の2つのSNSのなまえはVikiでの解説という形で読み方を提示することができたのに対して, Lernejoにはそういう機会は与えられそうになかったので, カタカナにしました. また, 日本の4文字文化は100年後も生きているといいなという思いもあります. (顔文字の使い方など, 現在の日本語そのままにしてあるのも, 国が無くなっても民族・文化としての日本は生きているといいなという想いからです.)