痴漢冤罪は誰の責任か

今日, 立て続けに痴漢で起訴されたひとが裁判で無罪になったというニュースがわたしのタイムラインに届いた. この種の問題には私も関心を持っていて, いくつか冤罪被害にあった人の本を読んだりもした(過去記事参照).
これは痴漢じゃなくてもそうなのだけど, 犯罪の被疑者として逮捕起訴された人の運命というのは悲惨極まりない. 無罪を運良く取ることができても, 逮捕される前の人生は帰ってこないといってよいだろう. では, これは痴漢犯人を間違えた被害女性のせいなのか?
かりに冤罪を防ぐ責任が被害女性にあるとすると, 被害にあったときに「この人痴漢です!」といって周囲に助けを求めたり, うでを掴んで「痴漢しましたよね?」といって駅事務室, 最終的には警察に連れていくということはできないということになる(もちろん, 「はい, やりました」とその場で即座に犯行を認めるようなら, 自信を持って警察に突き出すこともできるだろうが, どうせ真犯人は否認するのだ).
一般の女性が自分の直感以外で犯人を確かめる方法など持っているはずもなく, 周囲の目撃証言者などを探していてはもはや犯人を捕まえることは不可能に近い.
さらに, 冤罪の責任を犯罪被害者がおうのだから, 警察, 検察, 果ては裁判所まで, 証拠を集めて検証し冤罪でないか確かめるということをしなくなるだろう. 俺たちはあの女性がこいつ犯人だというからそれを信じただけだ! 責任はあの女にある!
本来近代司法というのは推定無罪の原則に基づくのであって, 裁判で有罪が確定するまではすべて無罪と推定しなければならない. だから犯人と名指しされようが逮捕起訴されようが, 彼は無罪なんだから, 世間の評判が落ちることも, それによって職を失うことも心配しなくていいはずなのだ. さらに, そもそも逮捕や勾留なんてそれじたいが国民の人権を国家権力が大幅に侵害することであり, だからこそ判決だけでなく逮捕の段階で証拠が必要ということになっている. それがそうなっていないのは被疑者をまるで犯人であるかのように取り扱うマスコミと世間であり, 証拠が足りないまま逮捕起訴してしまった警察と検察のせいである. 悪いのは彼らであって, 被害女性ではない.