「寝そべる」は「遊ぶ」「しそびれる」と共通の語源があるのではないだろうか

*結論の出ない話です。

「寝そべる」が「寝」と「そべる」に分解できることはそれほど疑わしくないだろう。「寝る」の語根が「ね」なのであるし、「体を横たえる」という意味も共通している。

では「そべる」にどんな意味があるのかというと、これがよくわからない。

「寝る」+「そべる」=「寝そべる」なのであれば、

「寝そべる」ー「寝る」=「そべる」もまた成立するはずだけど、「寝る」と「寝そべる」の違いが釈然としない。なんとなく、「ただ寝るだけではなく、体の力を抜いて楽にする」というイメージがある。

同じようなイメージを持つ後に「遊ぶ」がある。これは子供が一生懸命に走り回っていたりするイメージもあるけど、将棋で働いていない駒のこと「遊んでいる」とか、あるいはマージンのことを「あそび」ということがあるように、「力が加わっておらず、ゆったりしている様子」と表現できそうな意味がある。

さらに、「しそびれる」という言葉があって、これはもちろん「する」と「そびれる」からできているのだけど、多分「そびれる」は、「意図したタイミングで力を加えることをせず、結果的に放置してしまう」ということではないだろうか。

この「ねそべる」「あそぶ」「しそびれる」に共通する「力を加えず、あるがままにする」という意味は、この三つに共通する「sob」という部分に宿っているんではないかな、とふと思ったところです。

一応、軽くググって見ましたが否定的な材料も肯定的な材料も見つかりませんでした。