iOSの音声認識機能は果たしてSiriなのか

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上の画像のように、iOSのキーボードには音声入力を起動するボタンがあります。ネットのコメントなどを見ていると、この機能Siriの一部だと認識している人が多いようなのですが、果たしてこれはSiriの一部なのでしょうか。

私は自然にこれはSiriとは別の機能だと認識していたのですが、最近思った事はSiriと言うのは、ホームボタンを長押しして呼び出すあの画面だけではなく、アップルが公式に、キーボードの予測入力や、Spotlightを起動した際に出てくるアプリの候補等もSiriの一部だとしています。だとすれば、この音声入力の機能も、Siriの一部なのかもしれないと思った次第です。

答えのない記事になってしまいますが、どなたかご存知でないですか? 

なお、この文章は音声入力で入力した後、手動で修正を加えて書いたものです。

iOS の時計アプリの午前と午後をまた間違えた

前日にあんな記事を書いたばかりだったから、注意していたはずなのに、やはり寝る前というのは注意力が落ちているのか、朝にアラームは鳴らず、午前と午後をひっくり返した時間に、「もうそろそろ寝る時間ですよ」の通知が届いた。

思えばiOS の時計アプリは、良いデザインだったことが過去に一度もない。アップデートのたびにデザインが変わっているのは、多分Appleも苦労しているのかなと想像する。

時計アプリのデザインというのはそんなにも難しいものだろうか。多分、『時』という、具体的でありなおかつ物質的でない概念を表すのが難しいのだろうなという気がする。

午前と午後を間違える問題に関しては、あの環状の操作部を、24時間で一周にしてしまえば、ミスは減るのではないかという気はする。ただその場合、目盛りが細かくなるので操作が難しくなる可能性があるのと、普段12時間法に慣れている人が、気持ち良く使えるかどうかという二つの問題がある。

あるいは、時計アプリが多機能すぎるのではないだろうか? 時計アプリ一つの中に、タイマー、ストップウォッチ、通常の目覚まし、それに加えて睡眠管理機能のある『ベッドタイム』というのが加わった。

タイマーとストップウォッチのアプリと、目覚ましと睡眠管理のアプリの二つに分けた方がいいんじゃないだろうか。

午前と午後を間違える問題は、ベッドタイムの導入以前から経験していたけど、導入後顕著に増えたように思える。

以前、通常のアラームのセットの際に午前と午後を間違えることを防ぐために、Siriを使えば良いということを思い立ったことがある。けど、やはり話しかけるというのは億劫で、普段は手で触ってセットしていた。

iOS 11 からはSiriにタイプすることができるようになったけど、気恥ずかしさがないという以外の問題はむしろ悪化している。タイプした方が楽なのは、聞き取ってもらいにくい複雑な内容や、固有名詞が含まれる場合に限られる。タイマーのセットなら話しかけた方が楽だ。

ベッドタイムに関しては、昼夜が逆転したようなスケジュールを設定できないようになっていて欲しいとすら思う。この機能はそもそも通常の目覚ましとは違って、自分が眠りに入りたい時刻と目覚めたい時刻を設定するという、いわばゴール設定をするアプリだから、現実主義に陥って不健康な設定をする必要はない。

仕事の都合などで、常にそういうスケジュールで生活している人は、設定アプリの中から昼夜逆転するように設定変更できれば良いのではないか。一人の人が、同時期に、午前に眠る生活と午後に眠る生活をまたぐ必要は通常ないはず。

iPhone 6s 以降、iPhoneはユーザーが眠っているかどうかを認識して、自動で睡眠記録を取るようになっているけど、ベッドタイムを間違えて設定していると、これが正しく働かない。昨日の晩は珍しくよく眠れたのに睡眠記録は取られていなかった。

あともう一つ。時計アプリはロック解除しないまま使うことができるのに、ロックしていると時計部分がロックアイコンになって、現在時刻を確認できない。今からアラームをセットしようって時に、現在時刻を確認できないってちょっとおかしいでしょ。

なんとかしてくださいアップルさん。

AnkiMobile でカードテンプレートを編集する方法

 以前はデスクトップ版を使う必要がありましたが、最近のアップデートでできるようになっています。

カードの学習画面でツールを開き、Moreをタップして、該当ボタンを探すだけです。

アルファベット順になっているので、Eを探してください。

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自分がやっていることを記録し続ける試み

わりとありがちな話かな、と思います。類似のものに Doing リストとか、あと「ライフログ」なんていう概念も数年前はやりましたね。

後者は重症の人になると、動画で全てを記録しようとしたりとか、あらゆる書類を撮影したりスキャンしたりして、全て検索可能にしようとしたりとか、(まあ私も似たようなことをやっていたことがありますが、あれは病気です)する人もいます。

タイトルの話はそれほどヘビーなものではなくて、昨日からやっているのですけど、iPhoneのメモアプリのブレットリストを使って、自分がやったことをちょくちょく書き加えて行くだけです。タイトルにはその日の日付を入れます。これは入れなくても、ノート作成日でいいじゃんって話もあるんですけどね。何と無く入れています。

これの目的は何かというと、自分がどういうことに時間を使っているか、その時その時で自覚的になろう、ということです。くだらないウェブサイトを眺めたり、ツイッターNaverまとめで時間を潰したり、はてなブックマークのホットエントリを眺めたりする無為な時間を、無自覚に過ごすのではなく、その都度記録しておく。これは自律に効く気がします。

後で読み返した時に、満足感があることもありますよね。どんな重要な仕事を片付けたとか、本を読んだとか、ブログの記事を投稿したとか、そういう、ダラダラして、打製に任せているとなかなか実行できないタスクです。こういうことを書いておくと、自分に対する報酬になると思います。

どれくらい続くかわかりませんが、とりあえずいま二日目です。

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意識の数は一人ひとつとは限らない

人には意識があるとみんな信じていますよね。論理的には実は自分以外の他人に意識があるかどうかは知るすべがないのだけど、とりあえず自分には意識はあるし、他の人間も自分と同じように意識があるように見える。

もし自分以外が全て意識のないロボットだったら? なんていうのは、割と古典的で、多くの人が一度は考えたことがあるんじゃないかと思います。

ところで、自分以外の人に意識があるかどうかわからないと考えるのであれば、「自分だけに意識があり他の人にはない」と「全員自分と同じように意識がある」の二択である必要はないですよね。あの人には意識があって、この人には意識がない、というような想定も論理的には可能です。

以前友人とこんな話をしたことがあります。『自分の意識はいつも連続していて、他の人と入れ替わってしまうことはない。だから、自分が自分であることには何かの必然性があるはずだ。』

この話に対して私が思うのは『もし他の人と入れ替わってしまうことがあった場合、入れ替わりに気づくことはできるだろうか』ということです。意識が入れ替わっても、入れ替わり先の人は記憶を脳に保持している以上、結局は連続性を感じられるはずです。また、入れ替わる前の人の記憶はないので、入れ替わったということに気づくチャンスはないですね。ということは、実は入れ替わりはいつでも起こっているかもしれないのです。

同じように、ある人体から突然意識が消えたり、あるいは突然意識が宿ったりしても、本人も他人も、それに気づく方法はありません。

この話のキモは、意識はその宿る人が持つ情報にしかアクセスできないということです。記憶は肉体に保管されていて、意識自体には記憶はありません。脳という物理的な記憶媒体がないからです。いわば意識というのはコンピュータの中を走っているプロセスのようなもので、必要に応じて入出力や記憶媒体にアクセスはできるけれども、自分自身はなんの情報も保持できないし、知覚もできない。それどころか、肉体が持つ全ての情報にアクセスできるということでさえないのです。

ということは、あるプロセスが感知できないところで他のプロセスが同じコンピュータ上を走っているように、人間にも複数の意識が同時に宿っていることも、当然想定できます。

ある一人の人の中に、ふたつの意識が宿っていて、それぞれがそれぞれ自身を、その人の唯一の自意識だと感じているという状態です。他の意識が同じ人体に宿っているかどうかを知覚することはないので、この可能性はまず否定できません。

『意識があるのは自分だけなのではないか』『意識がない人もいるのではないか』どころか、あらゆる人体にはあらゆる数の意識が宿っている可能性があり、それがいつでも消えたり現れたり、あるいは他の人と入れ替わったりしている可能性があり、我々はそれを確かめることも否定することもできない、という思いつきでした。

韓国語のmおよびnの非鼻音化 (denasalization)

韓国語には鼻音mとnがありますが、これらの鼻音は頻繁に非鼻音化され、bやdのように聞こえる音になります。

国際音声記号では、これらの非鼻音化された(denasalized)mとnは、それぞれ[m͊]および[n͊]と表記されます。

発音のし始めは、通常のmおよびnと同じように、舌が口腔内の気流を塞いだ後、行き場を失った息が鼻を抜ける形になりますが、その後、舌が口腔内の気道を解放する前に、鼻腔が塞がり、dやbのように息が口腔内で破裂することになります。

日本語や英語の話者には、この音はそれぞれmとbの中間、nとdの中間のように聞こえるようです。

韓国語の話者にとっては、nと[n͊], mと[m͊] の区別はなく、違いがあることを知らないケースがほとんどのようです。

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